IV-ブラジリアン柔術

 

ブラジルの格闘技では、なんと言っても「グレイシー柔術」が有名だが、そもそもの始まりは1914年ごろ、講道館柔道の前田光世(ブラジルでの呼び名はConde(コンヂ) Coma(コマ)が伝えたものだ。

 武者修行で世界中を旅した前田は、ブラジルで開催された柔道の大会に参加するため、ブラジルを訪れていたが、その時、パラー州の日系移民のコロニアを発展させる手助けをすることに決め、ベレンに腰を据えることとなった。そこで、前田に協力したのが地元の政治家であったGastão(ガスタォン)Gracie(グレイスィー)である。前田はそのお礼として、Gastãoの長男Carlos(カルロス)に柔術の真髄を教えた。Gastãoには9人の息子がいたが、他の息子たちも次々に柔術を習い始める。

 1920年頃、父Gastãoの死を機に、母親と8人の兄弟は、10日間の船の旅を経て、リオ・デ・ジャネイロに移り住むこととなった。1925年、CarlosFlamengo地区に柔術の道場Academia(アカデミア)を開いた。

 Gracie兄弟の一番下の弟Hélio(エリオ)、体格に恵まれず、病弱だった。はいつもCarlosに柔術の手ほどきをしてくれるよう頼んでいたが、彼はまったく相手にしなかった。しかし、Hélioは兄の道場をいつも熱心に観察していて、柔術の理論を頭に叩きこんでいた。

 ある日、Carlosが指導の時間に遅れたことがあった。生徒とHélioはすでに道場に来ていたのだが、そこで彼は生徒たちに、兄が来るまで自分が手ほどきをしていいかと尋ねた。これが、生徒たちにも好評で、それからHélioも生徒たちを指導するようになり、それに伴い健康的な問題も解消してしまった。この時、彼は若干16歳だった。その後まもなく、兄Carlosは道場の運営に専念するようになり、彼が道場の生徒のほとんどに指導を授けた。

Hélioの柔術は、関節技などのテクニックを用い、力に頼らずに相手を倒すという、それまで力一辺倒だった格闘技にはない新たな格闘スタイルを提示した。体格の差に関係なく、小さい者が大きな者を倒し得るというのは非常に衝撃的かつ魅力的であった。また、床で闘うというスタイルをブラジルにもたらしたのもグレイシー柔術である。

 1930年代、彼らは自分たちの柔術がいかにすばらしいものであるかを証明するために、階級無し、ルール無しの異種格闘戦を数多く闘っていった。日本の格闘技ファンにもなじみ深い「ヴァリ・トゥード(Vale-Tudo)」である。

 17歳の時、Hélioはブラジルのヴァリ・トゥード大会のチャンピオンになった。このことが話題となり国内外の多くの新聞や雑誌が彼を取り上げるようになった。最近、ある雑誌のインタビューで彼は「わたしはその時代のロナウドだった」と語っている。

 1993年アメリカで行われた第1回アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップは、格闘技をエンターテインメント化して、世界中のテレビをにぎわした有名な大会だが、Hélio の息子のRoyce(ホイス)Rickson(ヒクソン)が大活躍しスターとなったことで、グレイシー柔術の名は世界中に知れ渡った。

  リオはグレイシー一家のまさに本拠地であり、他の流派の道場も数多く存在している。リオはブラジリアン柔術の中心地といえるだろう。

 

MEMO コンデ・コマの眠る場所

ところで、ブラジリアン柔術の大元となったコンデ・コマこと前田光世は、妻デイジー・メリー・イリスと共にベレン市内のサンタ・イザベル墓地に眠っている。

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